無知だらけ

元意識高い系の学生が意識の高い人間を目指す日記

トラベラー

旅をしていると、時々バックパッカーですかと聞かれることがある。そんな時僕は、いつも「ただのトラベラー」だと答えることにしている。

 

バックパッカーと言われることは特に嫌ではないが、自分の旅の仕方が、世間一般で言われるバックパッカーのそれとは違っていることと、そのイメージで見られるのに抵抗があるからである。



 

バックパッカーと言う言葉は、ヒッピーなどが世界的に流行った時代に、多くの若者が背中にリュックなどの荷物を背負って旅をしていたことから生まれ、自分で旅を創る旅行者を総じてそう呼ぶようになった。

 

しかし、その根底には当時のヒッピー時代の面影を色濃く残しており、節約旅行と言ったイメージはいつも付きまとっている。

 

巷では貧乏旅行などと言う言葉を良く聞いたり見かけたりするが、この言葉は嫌いだ。それは、あくまで節約旅行であって、貧乏なんかではないからだ。貧しい国に行くと、貧乏旅行をしていると思っている人たちより、はるかに貧しい生活をしている人々がいる。

第一、旅行すること自体が裕福である証であるのだ。たぶん気楽に使っていると思うのだが、どうしても抵抗を感じずにはいれないのである。それは多分、僕の変なところに拘る性格に寄ると思うが、バックパッカー=貧乏旅行と言うイメージも好きではない。



また、自称バックパッカーと言う人たちも、変な固定観念を持っている人たちが少なからずいる。「予約などしないで、現地に行って全て決める。それがバックパッカーだ。」なんて思っている人たちである。でも、そう言う人たちの多くが、「地球の歩き方」を片手に歩いている現実がある。そして、そこに載せられた安宿に泊まったり、名所を見て回ったりしているのだ。

 

「何か違うんじゃない?」って言いたくなるが、それもその人なりの旅の楽しみ方なので否定はしない。

 まあ、結局考え方の相違だと思うが、やはりそんなイメージがあるのは歪めない。

 

言わせてもらうなら、僕なりのバックパッカーとは、「自分で旅を創る人」なのだと思う。

 結局、本当の意味でバックパッカーになれる人は、自由な時間と、旅行出来るだけの資金がある人なのである。そこでまた、その何処に貧乏なんて言葉が見つかるのか、なんて思ってしまう。一見貧しそうに見えても、それは自ら望んでいるのである。

 

本当の貧しさは自分の意思に関わらず、降りかかって来るもので、決して望んだりするものではない。貧しさを望む人は、その時点で既に貧しくなんてないのである。しかも、彼らには帰る場所があるのだ。バックパッカーは色々な意味で、かなり豊かな人たちなのではないかと僕は思う。

 

 


 そんな訳で、僕はそう尋ねられたら「ただのトラベラー」だよと答えることにしている。