プレミアムフライデー×街コンはどうだろう
プレミアムフライデーという言葉をご存知だろうか。
これは毎月、月末の金曜日に仕事を早めに切り上げ、街へ繰り出してお金を使おうという政府と経団連が実施している消費喚起作だ。それがついに今月2月末から実施される。
コンセプトは、「月末の金曜日は早めに仕事を終えて豊か・幸せに過ごす」。
その日の仕事は15時退社になるという。
毎月月末に仕事が終わり、自由な時間を過ごせるのは嬉しい取り組みだ。
この話を聞いて、私は小学生のころ午前授業の時、自由な時間の午後は何をして遊ぼうというワクワク感があったことを思い出す。
日々忙しく働いているビジネスマンをそんな気分にさせてくれるのではないかと期待感が膨らむ。
協賛企業は大手がほとんどで、日本国内の企業の0.3パーセント(約1,300社)に満たないが、この取り組みの行く末が気になるところだ。
さて、このスーパーフライデー。恩恵を受ける企業があるということは逆にそれを受け止める業種もあるということだ。
真っ先にこの波を受けるのは接客業である。
店頭販売を主軸としている企業や飲食事業が直にこの影響を受けるのだが、その際の戦略はどのようなのが良いだろうか。
プレミアムフライデーの日は人員を増員して接客の質、対応力を高め、新たなピークタイムを作り出す。当たり前だがパッと考えただけではこれくらいしか想像ができない。
また、飲食事業において考えるならば、15時台はだいたいアイドルタイムとなり営業を行っていない場合が多い。そこでお店を開くことによって売り上げを見込めるようになればプレミアムフライデーは意味のある取り組みになるだろう。
個人的に、街コンのような出会いの場を作ることを目的とした営業の仕方が面白いのではないかと考えた。
街コンといっても男女の出会いを目的としたものではない。
ターゲットは大手企業に勤めるビジネスマンだ。
プレミアムフライデーを採用し、取り組みを広げていくのは大企業であるため、初めから狙いやすいからだ。そこで彼らのための異業種間パーティーを開催するのはどうだろうというのが目的だ。
気軽にご飯やお酒を楽しみ、普段の生活では関われないような業種の人たちと話ができる。そんな空間を毎月決まった日時と場所で開催されれば、いずれ一種のコミュニティーができるのではないかとということだ。
私の周りの社会人の方々から話を聞いていると、どうしても人間関係の輪が狭くなってしまうというネガティブな印象を受けている。そこはニーズがあるのではないかと推測している。
おそらく優秀な経営者やビジネスに関わる者なら、こう言った事象は様々な観点からいかに同業他者を追い抜いて新しいビジネスに昇華させられるのかを考えられるのだろう。
様々な工夫、経験を駆使し、新しい時代の流れに素早く乗っていく。
僕もそんな社会に参加し、挑戦し続けられる人間になりたいなと思ったトピックであった。
悩みとの向き合い方
悩みとの向き合い方
人間なら誰しも抱えるべき悩みがあるものだが、自分以外の人間から見た悩みなんてものは、その内容の大小に関わらず関係のないことだと一蹴されて終わるだろう。
だが、この悩みは誰でも持っているものであり、考え方を深めれば深めるほどその悩みは薄く軽くなるのではないかということを僕は信じたい。
その上で、僕にも悩みがある。
それは、大学を卒業できるかどうかだ。
都内にある4年制の私立大学に通い、そのうち1年を突発的な海外インターンで国外逃亡を図った結果留年し、その5年目となる大学生活を更にもう1年追加してしまうのではないかという悩みだ。
しかもその理由が自己管理の無さときているからどうしようもない。
ギリギリ卒業できるかどうかという中で勉強をしてきたのだが、最後の最後でしくじってしまった。2科目もテストを受けられなかったのである。
1つ目は期末試験のテスト開始時間を間違えてしまい、受けられなかったのだ。
そして2つ目は試験前日に酒を飲みすぎて寝坊し、試験時間をとっくに過ぎた昼過ぎに起床してしまったのだ。
どちらもしょうもない理由で数日間は自分の情けなさと自制心の無さに絶望してしまった。
悩みの根元は親への申し訳なさである。大学進学のために上京し、学費や家賃、携帯代まで出してもらい、結局大学5年目に突入しても決して悲観的になるわけではなく、さらに続けて大学に通わせてもらっているのが現状だ。
その恩から、大学を無事卒業し、就職してこちらから親を支えられるようになりたいと思っていたのにも関わらず、その結果を出せそうにない自分自信の情けなさにやり場のない悲しみが溢れてきてしまう。
本当に情けない。
そんな絶望的なメンタルの中、できる事は卒業への可能性がどれくらいあるのか、又今できる事は何かないのかという事である。
卒業の可能性としては2月末に実施される再試験を受けた結果、どうかなるかだ。
再試験は4年生への卒業単位が足りない場合の救済措置であり、不合格だった場合3科目まで再受験を行えるというものである。
僕はこの制度にかかっている。
だがしかしこの制度に対して不安要素として危惧していることが1つある。
1つ目は、そもそも再試験を受けなければならない科目そのものが、再試験を行わない可能性があるということだ。こうなれば元も子もなく、卒業は諦めざるを得ない。
この点から察するに、僕の卒業の可能性は低いということが考えられる。
この悩みの結論として、現状成績表の交付を待つしかないというのが現状だ。
もし卒業できなかったらどうしよう、また親に迷惑がかかってしまう、決まった就職先はどうなるのか等、考え出したらキリがない恐怖を克服し、まだ残りわずかにある可能性を諦めたくない。
こんな形で無理やりにでも前向きに過ごすことを決め、悩みを細かく分析して上手に対応していきたい。
そうすることで失敗を繰り返さず、また1つ成長できるのではないかと考えるのだ。
トラベラー
旅をしていると、時々バックパッカーですかと聞かれることがある。そんな時僕は、いつも「ただのトラベラー」だと答えることにしている。
バックパッカーと言われることは特に嫌ではないが、自分の旅の仕方が、世間一般で言われるバックパッカーのそれとは違っていることと、そのイメージで見られるのに抵抗があるからである。
バックパッカーと言う言葉は、ヒッピーなどが世界的に流行った時代に、多くの若者が背中にリュックなどの荷物を背負って旅をしていたことから生まれ、自分で旅を創る旅行者を総じてそう呼ぶようになった。
しかし、その根底には当時のヒッピー時代の面影を色濃く残しており、節約旅行と言ったイメージはいつも付きまとっている。
巷では貧乏旅行などと言う言葉を良く聞いたり見かけたりするが、この言葉は嫌いだ。それは、あくまで節約旅行であって、貧乏なんかではないからだ。貧しい国に行くと、貧乏旅行をしていると思っている人たちより、はるかに貧しい生活をしている人々がいる。
第一、旅行すること自体が裕福である証であるのだ。たぶん気楽に使っていると思うのだが、どうしても抵抗を感じずにはいれないのである。それは多分、僕の変なところに拘る性格に寄ると思うが、バックパッカー=貧乏旅行と言うイメージも好きではない。
また、自称バックパッカーと言う人たちも、変な固定観念を持っている人たちが少なからずいる。「予約などしないで、現地に行って全て決める。それがバックパッカーだ。」なんて思っている人たちである。でも、そう言う人たちの多くが、「地球の歩き方」を片手に歩いている現実がある。そして、そこに載せられた安宿に泊まったり、名所を見て回ったりしているのだ。
「何か違うんじゃない?」って言いたくなるが、それもその人なりの旅の楽しみ方なので否定はしない。 まあ、結局考え方の相違だと思うが、やはりそんなイメージがあるのは歪めない。
言わせてもらうなら、僕なりのバックパッカーとは、「自分で旅を創る人」なのだと思う。 結局、本当の意味でバックパッカーになれる人は、自由な時間と、旅行出来るだけの資金がある人なのである。そこでまた、その何処に貧乏なんて言葉が見つかるのか、なんて思ってしまう。一見貧しそうに見えても、それは自ら望んでいるのである。
本当の貧しさは自分の意思に関わらず、降りかかって来るもので、決して望んだりするものではない。貧しさを望む人は、その時点で既に貧しくなんてないのである。しかも、彼らには帰る場所があるのだ。バックパッカーは色々な意味で、かなり豊かな人たちなのではないかと僕は思う。
そんな訳で、僕はそう尋ねられたら「ただのトラベラー」だよと答えることにしている。
自己紹介 元意識高い系から意識の高い人へ
初めまして。
この度ブログ開設にあたって、なぜ始めるのかを過去の自己紹介とそれを変えた1つの体験とともに述べていきます。
1993年4月生まれ。札幌出身。都内某中流大学4年。
旅が好きで東南アジアを中心に10ヶ国14都市を周遊。フランス短期語学留学(1ヶ月)、北タイスタディーツアー(3週間)、国内ヒッチハイク(2ヶ月×3)など海外や旅に関する経験を重ねる。
趣味
旅 フットサル サイクリング ボルダリング カフェ巡り
お酒 映画 料理
その他アピールポイント
・サークルを立ち上げ代表になる
・起業家志望の学生が集まるイベントに参加
・海外経験を話したい
・FBの友達は目指せ1,000人
・自分は他の学生とは違う。可能性は無限大!
ここまでの体験や趣味を見て、なんとなく人物像のイメージが湧いた方がいらっしゃるのではないでしょうか。
海外経験が豊富でサークルん代表を務め、休日は学生イベントに参加し社会のあり方、人生について語り合う。そんな人間でした。
このような人間を世間では意識高い系と呼びます。
意識高い系(いしきたかいけい)
自分を過剰に演出(いわゆる「大言壮語」)するが中身が伴っていない若手、前向き過ぎて空回りしている若者、インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人などを意味する俗称である。
そんな僕が次なる経験を求めて選んだのが海外インターンでした。
そこで感じたこと、それは
無力
ただそれだけでした。
具体的には、
- 買い出しに行ったら違うものを買ってきてしまう
- 寸法・計りを間違えてしまう
- お金の計算を間違えてしまう
- 伝えなければならないことを伝え漏れしてしまう
- 仕事が遅い
- 語彙力が足りず伝わらない
などなどとにかく何をやっても満足にこなせない、まさしく浅学非才を体現したような人間であったのです。
そのような経験の後、インターン先で様々なものを見つけることができました。
目標が決まった。飲食業のプロになりたい。
これまで特にやりたいことがなかった僕は、インターン先での事業が飲食店の立ち上げというものであったことから飲食関係の分野で働きたいと思い始めるようになりました。出身が北海道という食の宝庫で育ったのも大きいです。
なにより人を喜ぶ姿を見続けたいからです。
そこから、幾つかの貴重な経験を重ねていきます。
エピソード
0から1にする術
毎朝7時から深夜2時までの無休労働
毎日働き続けました。およそ8ヶ月間。
居抜きで借りた廃墟のような物件を1ヶ月半で和食居酒屋に改装しオープンを目指し、家具屋や家電メーカー、市場に毎日出向き、時間がいくらあっても足りない生活を送りました。
そして期日内にお店をオープンさせます。
自らスカウトした現地スタッフたちと忙しい営業の毎日。朝食材の買い出しを行い、備品の調達、その他店内外設備の補強、修正、仕込み、営業、レジ締めと忙しくも充実した日々を過ごしました。
相変わらず仕事は間違えるし出来ないしで周りに迷惑をかけ続ける毎日でしたが、そこから得てできるようになったことは何よりの成長を実感できました。
それから日本へ帰国して早2年が過ぎようとしています。
大学生活はもうすぐ終わりの卒業を迎え、就職先は飲食サポート業に決まりました。
海外インターンという未だに忘れられない経験を大切にしつつ、多くの思いをこのブログに残していけたらと思ってます。